7月の京都の風物詩「祇園祭」が始まりました。
日本三大祭りのひとつで、なんと869年がはじまりとされています。
毎年約180万人が参加する祇園祭ですが、祇園祭って一体なに?鉾は?八坂神社との関係性は?と、ニュースでは見かけてもあまり良く知らないなぁという方に祇園祭のルーツを簡単に解説します。
祇園祭のルーツとは
祇園祭の起源は諸説ありますが、一般には西暦869年に当時大流行していた疫病が治まるように66の鉾を立て祈祷した「祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)」が始めだとされています。
当時の日本では災厄は怨霊や神の荒ぶる魂(荒御霊-アラミタマ)が起こしているとされ、それらが静まるように祈りを捧げるという信仰風習(御霊信仰)がありました。
そういった祈祷を御霊会といい、869年に行われた御霊会にてインド祇園社を守護している神「牛頭天王(ごずてんのう)」を祀っていた為に「祇園」の名がついた「祇園御霊会」となりました。
この祇園御霊会が祈祷という姿から、室町時代前期から中期に掛けて鉾を中心とした町衆の祭りへと変化して行き、現在の祇園祭へ繋がります。
八坂神社のルーツとは
祇園祭の中心地とも言える、八坂神社、この神社にもちょっと難解なルーツが存在します。
当時の八坂神社は前述の牛頭天王が祀られており、守護していたインドの寺院に因んで「祇園社」「祇園感神院」と呼ばれ親しまれていました。
この当時、神仏習合と言って神様と仏様は同一視されるのが当たり前でした。
牛頭天王はスサノオノミコトと似た逸話が多く、次第に同一視されるようになります。
このことから、延暦寺の末寺でありながらスサノオノミコトの神社としても地域に愛される場所でした。
名前が八坂神社となったのは1886年。
明治政府による「神仏分離令」が発端になります。仏教由来である牛頭天王は廃され、同一視されていたスサノオノミコトのみが祀られるようになりました。
その際に「祇園」の名を使わず、建築したとされる八坂の造(ヤサカノミヤツコ)の名を用いました。
政治、宗教の闘争に振り回される祇園祭
現代まで長く続く祇園祭も幾度か存続の危機に直面しています。
特に大きいのが応仁の乱で、京都の地で11年間も続いた大戦乱です。
応仁の乱の後、再開される1500年まで実に33年もの間中止されていました。
しかし再開して間もなく1533年、延暦寺による祇園社での祭礼中止命令がなされます。
当時の天台宗VS浄土真宗でかなり激しい戦闘があった為だと思われます。
その命令に対し町衆が抗議。
「祈祷はいいから祭りだけでも開かせて欲しい」という内容です。
この勢いが凄まじかったらしく、宗教を介さない町衆だけでの山鉾純行が始まることになります。
祇園祭は7月の一ヶ月にわたって様々な神事や行事が行われています。
華やかな鉾や神輿が市民を湧き立たせる姿はぜひ見てみてください。
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