会津藩駐屯地跡(伏見御堂) 徳川家康は中央の権力を掌握する過程において、伏見を拠点としていました。 その時代に大谷派本願寺伏見別院はこの地に創建されました。 別名として伏見御堂の名を持っていたことから、付近には御堂前町(まち)の名も生まれました。 鳥羽伏見の戦いの前日、慶応4年1月2日には会津藩がここに入り、立錐の余地がないほどに会津兵であふれていたと伝わります。 平成30年2月1日 語り部:若林 正博